英日翻訳の訳文の推敲を一冊でマスター: 『日本語文章チェック事典』

良い文章を書くことは、書くという作業に慣れている人にとっても難しいことらしい。その証拠に、日本に「文章読本」という名前が冠された本はゴマンとある。英日翻訳の技術書などを見ても、文章を書くことの厳しさに必ずと言っていいほど言及し、あの本を読め、こういう練習が欠かせないと脅してくる。そんな状況を真に受けて、翻訳を始めた当時の筆者は、商品になる訳文を書くには膨大な勉強が必要なのだと思い込んでいた。だがしばらくして、産業翻訳で求められる文章の最低水準はそれほど高くないのだと気が付いた。産業翻訳で求められているのは、「良い文章」を書くことではなく、「悪い文章」を書かないことなのだ。そして、悪い文章にしないための注意点というのは、実はそれほど多くはない。また、悪い文章というものは、翻訳作業の最後に推敲を行うことによってほとんど排除できるものだ。今回は、推敲によって産業翻訳に求められる文章力の基準をクリアするのに役立つ本をご紹介したい。『日本語文章チェック事典』(石黒圭編著、東京堂出版)だ。

この本の編者は国立国語研究所の教授・石黒圭氏。日本語の文章に関する本を多数出版しており、おそらく現在の日本で一番有名な日本語学者だろう。この記事を読んでいるのは言葉に対する感度の高い人だろうから、きっと名前はご存じだと思う。巻末の執筆者名一覧には教授、大学の講師、研究所所属の学者が名を連ねており、コンパクトながら幅広い分野の日本語研究者の知見が集約された信頼性の高い書籍となっている。

構成は、表記、語彙、文体、文法、文章、修辞の6章となっており、文章執筆に関わる論点を漏れなくカバーしている。各章では10~20の論点を取り上げており、実際の改善例を通して文章の修正方法を学ぶことができるようになっている。解説は文章について四六時中考えている研究者たちが書いているだけあって、きわめて平明で読みやすい。また、巻末から文書の内容を「ラベル検索」と「索引検索」の2種類の方法で検索できるようになっており、レファレンスとしてきわめて使い勝手が良い。こうした特徴から、執筆時のセルフチェックに最適な本となっており、翻訳の際にも大いに活用できる。

使い方としては、まず全編を通読することをおすすめする。「事典」というだけあって約400ページあるが、文字は辞書のような小ささではなく普通の書籍の大きさで、文章も平明なので、無理せず読める。段落の作り方や文章の組み立て方など、翻訳にはあまり関係ないテーマもあるが、それはそれで文章を書くためのコツとして勉強になるだろう。そのうえで、翻訳に使うのならば次の部分を重点的に読み込んでおくとよい。

  • 第1章表記: 読みやすい読点の打ち方、統一感が出る文字のそろえ方、読み手に配慮した文字の選び方、伝える内容に合った文字の選び方
  • 第2章: 「2.1 和語・漢語の使い方」の全項目、「2.2 外来語の使い方」の全項目、その場に相応しい形容詞の使い方
  • 第3章: 失礼にならない敬語の使い方、共感を生み出す視点の示し方、文体に合った接続表現の選び方、「3.3 文体の考え方」の全項目
  • 第4章: 全項目
  • 第5章: 「5.1 複数の文のつなげ方」の全項目、「5.1 接続詞の使い方」の全項目、複雑な内容を整理する列挙の方法
  • 第6章: 「6.2 オノマトペの使い方」の全項目(特にマーケティング翻訳をする場合)

翻訳にはさまざまな分野があるが、上に挙げた項目は、どの分野にも共通する論点だ。これとは別に、分野に特有の表記方法と、クライアントごとのスタイルガイドを押さえておけば、致命的な悪文を作ってしまうリスクをほとんど回避できるだろう。2、3度読んで覚え、実務を通して定着させていってほしい。翻訳にはあまり役に立たない論点も紹介されているが、そうした論点も日常のコミュニケーション全般を改善するのに役立つので、ついでに勉強してしまうことをおすすめする。

最後に誤解のないよう書いておくが、筆者は決して日本語を磨く努力を否定しているのではない。翻訳者の中には、手本になる日本語の文章を毎日書き写している人もいるし、そうした努力は絶対に見習うべきものだと思う。だが、日本語というのは奥が深く、文章の書き方を極めようと思えばきりがない。日本語力という部分にこだわっていると、いつまでたっても実務にたどり着けないと思うのだ。筆者は、まずは最低限の品質をクリアしてしまい、その後は実務をこなしながら日本語力を磨く努力をしていった方がよいと考えている。この記事で紹介した本が、そのための助けになれば幸いだ。

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