翻訳業界と言うのは、とかく経験者が有利な業界である。ある案件に対して候補者が2人いれば、たいていは経験の多い方に発注される。駆け出しの翻訳者には、どうしても引き受け手が見つからなかった案件のうち、小さな分量のものがお試しとして依頼される。だが、その駆け出しの翻訳者になるためのトライアルにおいてすら、書類審査の際に経験の有無を確認される。翻訳志望者の中には十分基礎ができている人も多いだろうに、ずいぶん不条理である。とはいえ、これは発注する側の心理からすれば無理のないところでもある。ほとんどのクライアントは「翻訳などすぐにできるもの」と思い込んでいるらしく、事情を知っている側からすればありえないくらい早い納期を指定してくる。そこからいろいろと交渉して現実味のある納期に落ち着くわけだが、それでもたいていはかなりタイトな納期になる。そのため、やり直しなどで納期遅延の発生する可能性がある駆け出しの翻訳者への発注を避けたいという心理が働くのである。
だが、私自身は、経験だけを翻訳者選定の基準にすることには反対したい気持ちがある。単純に訳文の質だけで判断した場合、経験の多い翻訳者が良い翻訳者だとは言い切れないことも多いからである。翻訳者のコミュニティなどで、経験の長い翻訳者により「翻訳が上手くなる唯一の方法は翻訳をすることである」という主張がなされることがあるが、翻訳会社の中で複数の翻訳者の訳文を見てきた身としては賛成しづらい意見だ。私の観察した限りでは、経験年数は翻訳のスキルが優れていることの証明にならない。
もちろん、経験によってもたらされるものは確かにある。翻訳を練習するときには自分の好きなように訳すことができるが、実務ではスタイルガイド、用語集、クライアント好みの表現などの縛りがある。何よりも納期があるから、自分の納得ゆくまで訳を推敲できることも少ない。こうした制約のある中で訳すスキルは実務でしか身に付かないものだろう。また、ある特定の分野における定型的な訳し方なども、実務を通して学ぶことだろう。例えば、私はIT関連の翻訳に関わることが多いが、ウェブサイトのUIの訳し方などには決まったパターンがある。私が知る限り、こうしたパターンを教える本や教材には出会ったことがないから、おそらくほとんどの翻訳者は実務で他の翻訳者の訳文を見たり、TMを参照したりして学んでいるはずである。そのほか、数千ワード以上の長い文章を、スケジュールに沿って、文章全体で論理と表現の一貫性を保ちながら訳すというのも実務でしかできないことだ。
だが、経験によってもたらされないものもある。それは、読解力や自然な訳文を作るための英日変換の技術をはじめとする、翻訳をする上での基礎となる力だ。こうした力は、単に受注した案件をこなすだけでは養われないように思う。むしろ、案件に着手した時点で翻訳者に備わっている読解力、英日変換の技術、日本語力によって、訳文の良し悪しはすでに決まっていると言ってもいいぐらいだ。こうしたものは、案件とは実務とは別の機会に予め身に付けておいて、実務で利用する種類の力であり、日ごろの鍛錬によって養うほかないものだ。実務で鍛えられたように見えても、それは別の機会に学んだものの応用方法やバリエーションを発見したというだけに過ぎず、実務によって実力の底上げがなされたわけではない。そしてこうした力は、経験によってもたらされるものよりも、はるかに得難いもののように私には思える。
翻訳の実務経験だけを重視することには、実力の底上げを図れないということのほかに、もう一つの問題がある。それは、自分の誤りに気が付かないまま長い年月を重ねてしまう可能性があることである。フリーランスの翻訳者には、自分が担当した案件に対する他者の評価を知る機会がほとんどない。翻訳会社からフィードバックが返ってくるのは、せいぜい重大な失敗があった場合だけである。ときには、案件の打診が来なくなって初めて「何かやらかしたらしい」と薄々感じるだけ、ということもある。レビュー後の訳文を定期的に翻訳者に提供する翻訳会社もあるが、その場合も担当した全案件の訳文が提供されるわけではない。もちろん、フィードバックがないからと言って、発注側が訳文に満足しているわけではない。何かしらの不満はあるのだが、業界は合格点とみなせる翻訳者でさえ不足しているという状況に常にあるため、致命的な問題がない限りは一度担当した翻訳者に案件の発注を続ける。このためフリーランスの翻訳者というのは、他者からのフィードバックをスキル向上のきっかけとしにくく、実力を反省しないまま慢心して長い年月を過ごすということになりやすい。
以上のことを踏まえると、翻訳者が実力を上げるためには、2つのことが必要であると思う。一つは継続的な自主学習、もう一つは他者からのフィードバックである。実案件をこなすことも大事だが、単にこなすだけでは意味がない。実案件を通して他者からのフィードバックを得られたり、実案件でてこずった箇所を振り返り改善する努力をしたりするのでなければ、実案件を通して実力が上がることはない。言い換えれば、実案件は反省を伴わなければスキルの向上につながらない。
翻訳者のスキル向上のために継続的な自主学習とフィードバックが必要だとした場合、自主学習は自分の意志でできるから良いとしても、フィードバックはどうすれば良いのかという疑問が生じる。一番良いのは、翻訳会社にレビュー後の訳文を提供してほしいと頼むことだろう。あるいは、大手のクライアントの中には、翻訳者にフィードバックを提供する仕組みが整備されているところもある。そうしたクライアントを担当する機会を探してみるのも良い方法だろう。それには、特定のクライアント向けの翻訳者を募集している求人に応募し、担当者とのやり取りする際に「フィードバックを受ける機会はあるか」と質問してみればいい。この質問は担当者にやる気もアピールできて一石二鳥だ。
フィードバックが得られない場合の次善の策として、原書と良質の訳書を教材にして学習するという方法がある。有名な翻訳家の訳した訳書と原著を入手し、自分の訳文と訳書の訳文を比較するのである。このようにすると、いわば自分の訳文を有名翻訳家にレビューしてもらうことになり、自分の訳文と訳書の訳文との差異が良質なフィードバックとなる。こうしてフィードバックを得たら、自分の訳文に何が足りないのかを反省し、課題を改善するための勉強を自分で考えて行えばよい。「次善の策」と書いたが、フィードバックとしてこれほど良質なものは得難いし、翻訳力を総合的に高めるトレーニングにもなるから、日常的な習慣としてぜひ取り入れたい練習方法である。
私は将棋の観戦をする「観る将」なのだが、ここまで書いてきて、翻訳の上達の方法は、プロ棋士の上達方法と相通じるものがあると感じる。プロ棋士が対局した後は、「感想戦」と言って、お互いの手を評価し合い、別の展開はなかったのか反省する時間がある。これなどはフィードバックに相当するだろう。また、近年の将棋は事前研究が非常に重視されており、「仕事は研究、対局は回収」という発言をする棋士もいる。翻訳者も、日ごろの勉強で蓄積した力以上は実案件で発揮することはできない。結局、分野を問わず、上達に必要なものというのは共通しているのだ。
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